屋上の柵に足をかける人

就活中、精神病を患った。社会が求めているものに、自分をすり合わせている気がして自信を失った。模範的な就活生でない自分は、世間から求められていない人間なのだと思った。

生きるやる気が出ず、殺してくれと思った。独房のような狭い大学の寮、薄い壁と知っていながら毎日叫ぶように泣いた。同じ学年の寮生は、“いい就職先”を見つけ、“いい友人”として私を心配した。その心配がとてもつらかった。

私は安定のために理系大学に進学した。それなのに、斜陽産業と言われている出版社を受け続けた。その理由も曖昧でミーハーな自分は、本当に出版業界を志している人に勝ち目はない。なのになぜ諦めることができないんだろうと思っていた。

かろうじて出版業界で働けるようになったものの、安月給。生きるのが本当に苦しい。だけどなんで他業界に転職したいと思わないのだろう。

最近、その理由がわかってきた気がする。

あなたと知らない人が屋上にいる。知らない人が柵に足をかけようとしている。

きっと、あなたは声をかける、抱きしめる、大丈夫だよって。

言葉にはそんなパワーがある。肌と肌で触れ合わなくても、知らない人でも温かく包み込むことができる。

屋上の柵に足をかけようとしている人は、自分自身だったりするのだ。

私は、自分のような生きるのがつらくて、毎日隕石を望んでいるような人を、抱きしめたいんだと思う。

頭がいい人、美人な人が正とされる世の中。全ての人が正だって思える未来を、自分のような人間にプレゼントしたいのだ。

大丈夫。大丈夫。ちょっとずつ前に進もう。今の道で間違っていないよ。

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ブロック癖、人間関係リセット癖があってもいいでしょう 

ブロック癖、人間関係リセット癖があってもいいでしょう。

「自分は人間関係をリセットする癖がある」「LINEのアカウントを消したくなる」などと悩んでいる人も多いのでは。

私は、SNSのブロック癖や、人間関係のリセット癖があってもいいと思っている。

ブロックするかどうか悩む相手は、どんな人か。連絡が来たらちょっとうれしいけれど、不快な思い出がある人ではないだろうか。(そうではなかったらごめんなさい)

ブロックするか悩むのは、相手から連絡がくるかもしれないと思っているからなのでは?

万が一相手から連絡が来ても、今後もいい関係が保てるとは私は思えない。

相手からの連絡を、相手のペースで受け取る。何も構えていない受け身の状態なので、不快な思いをしても咄嗟に言い返せないかもしれない。

また、相手から連絡が来るかどうか分からない宙ぶらりんの状態は、精神的負担になる。

衝動的ではなく、長い間ブロックするか悩んでいるくらいなら、思い切って1回リセットしてもいいと思っている。難しいなら、そのままでいいんだけどね。

「もう繋がっていないんだ」「断ち切ったんだ」という開放感から、自分を取り戻せるかもしれない。

LINEの場合ブロック削除しない限り、再度連絡することができる。この場合、自分からアクションするので受け身にならなくて済む。

人間誰しも、誰かと喧嘩することがある。そこから疎遠になることがある。それを「価値観のズレ」と表現するのか「リセット癖」と表現するのか。自分を無理に追い込まなくても大丈夫。

本当に縁があるのであれば、きっとまた元の関係に戻れるはず。

最近、大学の知り合いを10人以上ブロックした自分に言い聞かせながら書いている。大丈夫。

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鬼メンタル間瀬くん

メンタルの強い人間ときいて誰を思い浮かべるだろうか。

オリンピックで活躍するアスリート。

非暴力不服従を訴えたガンジー。

大学の同期に間瀬くんという変わった男の子がいた。学科に友達はいないし、空気が読めなくて浮いていた。そんな彼は、ハロウィンで彼女と一緒にピカチュウのコスプレをして大学にくる猛者。彼のメンタルの強さには脱帽だった。

まあ、間瀬くんは例外である。

私がメンタルが強いと思うのは、リストラされた次の日でもへっちゃらみたいな顔をしている人間だ。

学がないので詳しいことは分からないけれど「マズローの欲求」という心理学の理論によると、人間は明日食って寝る保証がないと頭がおかしくなるらしい。

職なしになっても笑っていられるのは、相当メンタルが強い証拠だと思う。

突然だが、私は致命的に仕事ができない。明日リストラにあってもおかしくない。

だから、リストラされることをシミュレーションして、メンタルを鍛えようってわけ。

まあ、リストラされたらふつうに転職活動をすると思う。次やるなら漫画編集者かなあ。今の仕事は、文章力がなくてひたすらつらいので、ビジュアルメインの漫画に逃げたい。

私はプレッシャーに弱い女だ。そう簡単に転職活動ができるとは限らない。

就活に失敗したら、地元に帰り「子供部屋フリーターお姉さん」になると思う。私の地元は、ギリ車がないと生きていけない。私が免許を持つと必ず誰かを轢き殺すことになる。

そう考えると、電動チャリでの生活になるのかな。 田舎の坂道を電動チャリでスーッとくだる。夏の夕方…。ちょっと良くない?悪くなくない?なんかエモくない??

フリーターになると、税金や年金はどうなるのか。お金のことはよく分からない。いくら実家暮らしでも、フリーターとして生きていくのが大変なのかもしれない。

明日リストラされたら、きっと落ち込む。落ち込む。経済的に安定しないと、心も安定しないことは分かっている。だけど、リストラされても違う選択肢もあるんだと思うことができたら、救われるのではないだろうか。心を保てるのではないだろうか。

「メンタルが強い」というのは、選択肢をたくさん持っているということかもしれない。

働いていると、自分のカードを会社に渡している気持ちになる。リストラのカード、左遷のカード、給料カットのカード…。実際のところ、人生のカードを切るのは自分自身。選択肢というカードは自分が持っているのだ。

明日リストラされたらどうしよう。リストラされたその足で、メンタルが強い間瀬くんに心を鍛える方法を教えてもらおうかしら。そのときは、ハロウィンのコスプレ、実は面白いと思っていたよと伝えると思う。

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自分を生きる!むずい!

今から寝ようかなと思っている。だけど興奮で眠れない。電気を消したくない。今日がいい一日だったからだ。寝るのが惜しいから気持ちをできるだけ書いて寝よう。

私は日頃から「前に進むことが全てではない」「生きることが偉いのではない」と思っている。

だけど、今日は前に進めそうだと思った。今日という日を忘れたら、この世に未練が残ると思える一日だった。

幸せではなくてもいい。ダメでいい。目くそを食べてしまう人間でいい。夜中にしこたま食べてもいい。誇れなくてもいい。これを続けていくうちに、自分を生きられる気がする。超むずいけれど!!

人の目を気にしない、人と比べないなんて無理だよね。でも、自分を生きることはできる気がする。自分を生きよう。

今まで自分は、人間関係をリセットしないと生きていけない人間だと思っていた。多分そうなんだと思う。情けないなと思ったりした。

だけど今は、リセットしたことでお気に入りのものに囲まれて生きていられているのだから、この性格も悪くないのではと思ったり。

どんな選択をしても必ず、大なり小なりメリット・デメリットがついてくる。デメリットを感じたら、なかなかメリットが見えなくなる。だけど、メリットを見出したからこそ、その選択をしたんだと思う。デメリットが大きくても、メリットを感じるまで待てばいいんだ。待つって簡単ではないけどね。

何はともあれ、今日は最高の一日だった。十年後、今日の日を振り返ると心温まると思う。

何も特別なことはしていないけれど、音楽を聴くのも嫌なくらい今日の感情を上書きしたくない。寝ると次の日になるのが嫌。そんなスペシャルな一日。

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終わっていて激痛い人間、私。でも愛おしい 。

めちゃくちゃ痛くて終わっている人間が私です。

24歳。いまだにジャニーズの誰かの彼女になる妄想をするのが日課。

Kindle Unlimited(Kindleのサブスク)に課金して、毎月元が取れるくらいBLやTLの小説を読み漁っています。

悪口も噂話もします。口が軽いので、私に内緒話はしない方がいいでしょう。

大学生まで鼻くそを食べていました。爪はいまだに噛みます。鼻くそは汚いので食べるのをやめました。ストレスが溜まると、どうしても爪を噛んでしまいます。ちょっと前まで精神が死んでいて3日くらい風呂に入っていない日もありました。

そのくせ潔癖症で外に出たら、その体でベッドで寝ることができません。風呂に入らないと気がすまないのです。潔癖症すぎて汚いものが触れられず、掃除も嫌いだったりします。でも、3日洗っていない箸を使ってご飯を食べることができます。自分でも不思議です。

母親は不倫の常習犯、父親は、亭主関白です。両親をみて恋愛に対して抵抗があり、まともな恋愛をしたことがありません。戦争の次にしてはいけないこと、恋人をブロックして振った経験があります。なのに、家までストーカーしてこないか心配で、最寄り駅から遠回りして帰っていた時期がありました。完璧に加害者なのに被害者ヅラしていました。自分が恋愛できないのは、両親のせいだけでないのに、悲劇のヒロインぶっています。

大学は自分の学力にしてはいい大学に行きました。もちろん一般入試ではなく、AO。一般入試で入ってきた人よりも劣っているので、なんとなくコンプレックスです。

同じ大学の誰よりも就活に大失敗しました。いきなり誰とも連絡を取らなくなったので、心配されました。心配されることがつらくて、生きていくのがしんどくて就活中、適応障害になりました。過呼吸したり、電車で泣いたりつらい時期でしたが、本当の自分を取り戻せた気がします。大学3年までは、自分が自分でなかった気がします。誰が悪いわけではありません。周りと合わなかっただけです。大学では本当の友達はできませんでした。

こんなに終わっています。まっすぐ歩くことができない自分が憎くて、情けなくてどうしようもなくなる日があります。だけど、こんな自分が愛おしいです。

私の友達はみんな不器用ながらバカ正直に優しく生きています。

世間からみると家庭環境はよくないはずなのに、家族との思い出を振り返ると心が温まります。

捨てたくないものに囲まれて生きています。

死にたくなるとき、どうやって死ぬか考えます。だけど、友達や家族の思い出が死を引き止めてくれます。自分を構成する周りの環境がとてつもなく愛おしいです。ダメな自分でも大切に思えます。

数多くの嫌な記憶。毎日何かを引き金にして思い出し、叫びたくなります。今でさえ多いのに、年をとるとこれがもっと増えるのかと思うとうんざりします。

だけど、死ぬ勇気はなく生きていくんだと思います。

他人を気にしたり、他人と比べてつらくなったりすることは今後も続くと思います。

それでもいい。幸せがデフォルトではなくてもいい。つつがない毎日がいい。波があってもいいと思えたら、身も心も軽くなる気がします。なかなか難しいけれど。

三百六十五歩のマーチの「三歩進んで二歩下がる」って歌詞、子どものころは信じられませんでした。効率悪くない?って。だけど、本当にその通り。なかなか前に進めないことがデフォルトだと思うと、生きることのハードルも下がります。

生きなきゃと思うとつらくなる。だけど、死んでも生きていたのならえらいと思えたら、生きるのも楽になりそうです。

今の自分は将来のことを考える権利があります。でも、実行するのは未来の自分。未来の自分に「○○しなきゃ」と縛りつけてはいけません。今は、漂流するようにプカプカを人生を泳ぐことにします。

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