終わっていて激痛い人間、私。でも愛おしい 。
めちゃくちゃ痛くて終わっている人間が私です。
24歳。いまだにジャニーズの誰かの彼女になる妄想をするのが日課。
Kindle Unlimited(Kindleのサブスク)に課金して、毎月元が取れるくらいBLやTLの小説を読み漁っています。
悪口も噂話もします。口が軽いので、私に内緒話はしない方がいいでしょう。
大学生まで鼻くそを食べていました。爪はいまだに噛みます。鼻くそは汚いので食べるのをやめました。ストレスが溜まると、どうしても爪を噛んでしまいます。ちょっと前まで精神が死んでいて3日くらい風呂に入っていない日もありました。
そのくせ潔癖症で外に出たら、その体でベッドで寝ることができません。風呂に入らないと気がすまないのです。潔癖症すぎて汚いものが触れられず、掃除も嫌いだったりします。でも、3日洗っていない箸を使ってご飯を食べることができます。自分でも不思議です。
母親は不倫の常習犯、父親は、亭主関白です。両親をみて恋愛に対して抵抗があり、まともな恋愛をしたことがありません。戦争の次にしてはいけないこと、恋人をブロックして振った経験があります。なのに、家までストーカーしてこないか心配で、最寄り駅から遠回りして帰っていた時期がありました。完璧に加害者なのに被害者ヅラしていました。自分が恋愛できないのは、両親のせいだけでないのに、悲劇のヒロインぶっています。
大学は自分の学力にしてはいい大学に行きました。もちろん一般入試ではなく、AO。一般入試で入ってきた人よりも劣っているので、なんとなくコンプレックスです。
同じ大学の誰よりも就活に大失敗しました。いきなり誰とも連絡を取らなくなったので、心配されました。心配されることがつらくて、生きていくのがしんどくて就活中、適応障害になりました。過呼吸したり、電車で泣いたりつらい時期でしたが、本当の自分を取り戻せた気がします。大学3年までは、自分が自分でなかった気がします。誰が悪いわけではありません。周りと合わなかっただけです。大学では本当の友達はできませんでした。
こんなに終わっています。まっすぐ歩くことができない自分が憎くて、情けなくてどうしようもなくなる日があります。だけど、こんな自分が愛おしいです。
私の友達はみんな不器用ながらバカ正直に優しく生きています。
世間からみると家庭環境はよくないはずなのに、家族との思い出を振り返ると心が温まります。
捨てたくないものに囲まれて生きています。
死にたくなるとき、どうやって死ぬか考えます。だけど、友達や家族の思い出が死を引き止めてくれます。自分を構成する周りの環境がとてつもなく愛おしいです。ダメな自分でも大切に思えます。
数多くの嫌な記憶。毎日何かを引き金にして思い出し、叫びたくなります。今でさえ多いのに、年をとるとこれがもっと増えるのかと思うとうんざりします。
だけど、死ぬ勇気はなく生きていくんだと思います。
他人を気にしたり、他人と比べてつらくなったりすることは今後も続くと思います。
それでもいい。幸せがデフォルトではなくてもいい。つつがない毎日がいい。波があってもいいと思えたら、身も心も軽くなる気がします。なかなか難しいけれど。
三百六十五歩のマーチの「三歩進んで二歩下がる」って歌詞、子どものころは信じられませんでした。効率悪くない?って。だけど、本当にその通り。なかなか前に進めないことがデフォルトだと思うと、生きることのハードルも下がります。
生きなきゃと思うとつらくなる。だけど、死んでも生きていたのならえらいと思えたら、生きるのも楽になりそうです。
今の自分は将来のことを考える権利があります。でも、実行するのは未来の自分。未来の自分に「○○しなきゃ」と縛りつけてはいけません。今は、漂流するようにプカプカを人生を泳ぐことにします。
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